The Christmas in Austria

2000年オーストリアのクリスマスの様子

 

はじめに

第1章 ウィーンの森の物語

第1部 オーストリアのクリスマスツリー

第2部 クリスマスオーナメント

10

第3部 クリスマスツリーのバリエーション

20

第4部 クリスマスのお菓子

24

第5部 KRIPPEN

30

第2章 ヨハンシュトラウス2世のワルツ 第1部 ウィンナーワルツへの誘い

38

第2部 ロマン派の音楽

43

第3部 ロマン派の世界

46

第3章 ビーダーマイヤー 第1部 Biedermeier

49

第2部 マカルト・ファッション

51

第3部 トーネットの曲木

52

第4部 ヨハンシュトラウスのキャンドル

53

第4章 1870年〜その時ドイツは・・・

第1部 1870年〜その時ドイツは・・・

54

第2部 グリム童話

56

第3部 いばら姫

59

第4部 もじゃもじゃペーター

62

第5部 スワロフスキー

68

第5章 森の贈り物 第1部 Y字の枝とヘーゼルナッツ

72

第2部 オークの実とドングリ

75

第3部 ブラジルナット

84

第4部 クルミ

88

第5部 アンバーパーム

91

第6部 ブナ

92

第7部 松・杉

93

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はじめに
樹木と共に歩むヨーロッパ

   クリスマスツリーをオーストリア大使館より依頼されたのは記念すべき2000年目のクリスマスの年でした。この年はキリストの再来を意味するミレイニアムの年。クリスマスツリーの意味を今ふたたび考えてみる時期でもありました。

クリスマスツリーはキリスト教以前の古代ヨーロッパより続く樹木信仰に由来しています。395年のローマ帝国の分裂後フランク王国シャルルマーニュ大帝(在位768〜814)はマインツを拠点にドイツ各地に布教活動を行いキリスト教によるヨーロッパの統一をはかりました。最後までゲルマンの異教を守って抵抗したザクセン族にはゲルマン人が神の宿る木として崇めたオーク(樫)の木を切り倒して改宗を迫ったと伝えられています。こうして962年キリスト教を主軸とする「神聖ローマ帝国」が成立する事となりました。

「神聖ローマ帝国」はやがてオーストリア・ハプスブルク家に引き継がれました。ウイーンを首都にこの家系の樹木は大きく枝葉を広げやがて1000の顔を持つヨーロッパ大樹へと変貌していきます。しかしこの「神聖ローマ帝国」も1806年にはあっけなく滅亡してしまうのです。ヨーロッパはローマカトリックをも巻き込む大きな渦巻きの中にやがてのみ込まれていきました。

ところがこの頃からアルザス地方のモミの木を飾るクリスマスツリーの習慣が知られるようになったのです。ハプスブルクという大きな樹木から一般市民の家庭を飾るクリスマスツリーへと変わっていったのです。それはヨハン・シュトラウス2世のワルツのように急速な勢いでヨーロッパ中に広がっていきました。

1000年に古代宗教のオークの木を切り倒し次の1000年には神聖ローマ帝国の木が切り落とされました。そして今再びモミの木のクリスマスツリーが次の1000年を飾ろうとしています。自然を愛し求める共通の香りをモミの木は私達に目覚めさせてくれるのかもしれません。クリスマスツリーは「香りと自然を大切にしている」と言われています。木の実を中心に世界の香り(クローブ シナモン スターアニス)も添えたオーストリアのクリスマスツリーをデザインした時私達はその木の下に輝く星の光線と誕生シーンもあわせてアレンジしました。そこには未来に続くクリスマスであって欲しいという願いが込められています。

さて、この小冊子はオーストリアのクリスマスツリーの飾りとその生まれた時代をテーマにヨハン・シュトラウス2世のワルツにあわせて展開していきます。そして様々なリビエールのオーナメントとそのデザインをも紹介しています。最後にヨーロッパの森を体験して樹木と共に歩むヨーロッパを語る事ができたなら幸いです

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